第一話 知恵熱で死んだ最強賢者、物理(キンニク)で異世界を無双する~「魔法? いえ、これは伸張反射です」~
知恵熱で死んだ大賢者ジクマルが魔力ゼロの虚弱少年として転生。廃墟でラプトルに襲われ絶望するが、バタフライで泳ぐ筋肉の男・龍斗を「神代の魔法使い」と誤解し、プロテインを聖水と信じて弟子入りを懇願する。
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知恵熱で死んだ大賢者ジクマルが魔力ゼロの虚弱少年として転生。廃墟でラプトルに襲われ絶望するが、バタフライで泳ぐ筋肉の男・龍斗を「神代の魔法使い」と誤解し、プロテインを聖水と信じて弟子入りを懇願する。
プロテインを「魂の契約」と誤解したジクマルは龍斗を師と仰ぐ。SSCによる膝蹴りを「雷神脚」、ドラゴンボートを「魔導船」と解釈。筋肉の掛け声に包まれ、知識偏重だった賢者は「肉体を変えたい」と願い始める。
やれやれ、である。
異世界にて、禁忌魔法の奥底まで極めた我が身も、所詮は「ただの頭脳」に過ぎぬということか。
かつての我は、魔法界の最高峰に立つ大賢者ジクマル。幾千の禁忌魔法を会得し、独自のオリジナル魔法をも自在に操る至高の領域へ辿り着いていた。あらゆる魔法書に記された知識は、我の頭脳の中で完璧に整理され、体系化されていたのである。
だが、もはやこの世に「未知」はなかった。
探究の喜びを知っていた我の心は、最後の一つの謎のみへと向けられた。それは、いかなる魔法書にも、いかなる師匠の言葉にも、いかなる己の経験にも答えられぬ問い――
「なぜ、私は私なのか?」
自己同一性。
我とは何か。我の『私』は、他者の『私』と何が異なるのか。意識か。記憶か。魔力か。それとも、もっと根源的な何かか。
飲まず食わずのまま、数日間。我は思考の海に沈んだ。宇宙の理と自己の境界線について、ただひたすら思考し続けた。脳髄の奥底で、次々と生まれ消える仮説の山。それらを一つ一つ検証し、矛盾を潰し、新たな謎へと進んでいく――
「我思う、ゆえに…」
熱い。
脳が、焦げるように熱い。
物理的な脳の限界を超えた思考の過剰。神経回路のショート。身体の警告信号さえ無視して、ただ思考を続けた結果、脳のオーバーヒートは避けられぬものとなった。
「我思う、ゆえに…熱い!」
それが、偉大なる知性の最後の独白であった。辞世の句とでも呼ぶべき、その思考と共に、ジクマルという大賢者の意識は、唐突な死へと導かれた。
瞼を開くと、そこは暗転していた世界だった。
瓦礫の山。砕け散ったコンクリート。腐敗した鉄骨。天へ向かって指を立てる、もはや廃墟と化したビル群。かつての文明の遺骨のみが、この地に散らばっていた。
眼前には、植物が侵食した街。無秩序に伸びた蔦が、建造物を這い上がり、窓を塞ぎ、壁を破壊していく。太陽の光が遮られ、この廃墟は不気味な薄暗さに包まれていた。
そして、そこここから聞こえる音。
野獣の鳴き声。本来この地にあってはならぬ生物の、喉を鳴らす音。
我は立ち上がろうとした。だが、その瞬間――
「…ご、ぐぐぐぐっ」
小型の恐竜が、我の顔を覗き込んでいた。
羽毛のような外皮。赤く光る眼。三本の爪。その獣は、こちらを餌と見定めたのか、歯を剥き出しにしながら、ゆっくりと我に接近してくる。
(ラプトル。小型の獣竜。この異世界にも、かような生物は……)
我は瞬時に状況を分析した。見知らぬ世界。敵性生物。これは、再転生か。それとも、異世界から別の領域への転移か。いずれにせよ、此の場で思考に耽るべきではない。
「敵性生物。排除する」
得意とする「雷属性・無詠唱魔法(サンダー・ボルト)」を発動しようと、我は指を向けた。
青白き電光が走る筈だった。
ラプトルを焼き尽くす、あの必殺の雷撃が――
「……」
静寂。
指先からは、火花一つも迸らない。
(何……?)
我は困惑した。千度を超える雷撃を、何度も何度も放ってきた我の指先が、無反応だった。代替案として、「身体強化(フィジカル・ブースト)」を唱えながら走ろうとしたが、それも無効だった。
ラプトルの牙が迫る。反射的に逃げ出したが、転生したばかりの身体は、自分の重さを制御することすら叶わない。足がもつれ、我は無様に前へ転ろげた。
瓦礫に腕をぶつけ、皮が剥ける。血が流れる。
かろうじて逃げ込んだ隙間の中で、我は息をついた。
後ろからは、ラプトルの鳴き声が聞こえる。餌を失った獣は、周囲を嗅ぎながら彷徨っている。いつ、この隙間を見つけるか分からぬ――その恐怖と共に、我の心臓は早鐘を打ち続けていた。
肺が焼けるような息切れ。わずか十メートル走っただけで、こんなにも?
我は、自分の身体を見つめた。
逃げる道中のショーウィンドウのガラスに映った姿があった。
黒髪の、虚弱な少年。肋骨が浮き出ている。皮膚は蒼白く、筋肉とは無縁の細い腕。かつての大賢者の肉体は、完全に失われていた。
「ステータス確認」
異世界の名残か、この世界にも似た仕組みが存在するのか、我の脳裏に情報が浮かぶ。
――魔力:0
――筋力:G
――体力:G
絶望的だった。
「嘘だ」
我は呟いた。
前世の我は、禁忌魔法を極めた大賢者である。魔力は無限に近く、肉体も魔法で強化されていた。あるべき我の姿は、ここに、絶対にあってはならなかった。
だが、目の前の現実は、残酷そのものであった。
(ここは『魔力真空地帯』か? いや、それなら『魔力探知』で位置を特定出来ぬはずがない。ならば、我の魔力が……)
我は、その可能性に直面した。
転生によって、魔力そのものが失われた可能性。この世界が、前世とは全く異なる物理法則の世界である可能性。いずれにせよ、我は「最弱の存在」へと転生してしまったのだ。
ガラスに映った自分の姿を見ながら、我は悟った。
「人生が、詰んだ」
ラプトルの鳴き声は、まだ聞こえている。隙間の外では、弱肉強食の原理が、容赦なく支配していた。そして、我は、その中で最も弱い――捕食される側の「プランクトン」であったのだ。
震えながら、我は隙間の奥へと身を縮めた。
もはや、逃げることすら叶わぬ。
希望は、消え去った。
その時だった。
視界の端に、異異な影が入った。
その上に、異常に筋骨隆々な男が、仁王立ちで立っていた。その姿は、遠く離れているにもかかわらず、我の眼には鮮烈に映った。
(あれは……人間か?)
その男は、突如として海へダイブした。
白い飛沫が上がる。水しぶきが弾ける。
そして、それから――
男が、水を切り裂くようにバタフライを始めたのだ。
両腕が、機械的に回転する。上半身が、波の上へと躍り出る。その動きは、人間業とは思えぬほどのスピードで、我の視界に迫ってくる。
(あれは……水属性・禁忌魔法『リヴァイアサンの抱擁』!?)
我の脳は、瞬時に仮説を立てた。
水そのものを支配し、抵抗をゼロにする超高等魔術。流体力学を司る、失われし古代の魔法――それ以外に、あの動作を説明する手段はない。
(推進剤を使わずにあの速度……魔力推進ではないか。いや、もっと洗練されている。もしかして……水分子そのものを支配しているのか!?)
絶望が、一転して希望へと反転した。
魔法が存在しないと思っていた世界に、神代の魔法使い(と我は勘違いした)が、突如として現れたのだ。
男は、堤防へ上陸した。
広背筋のみを使った「マッスルアップ」で、軽々と陸へ上がる。その肉体から弾ける水滴は、さながら宝玉のように輝いて見えた。そして、呼吸一つ乱れていない、涼しい顔。
その瞬間、我は――
「お見それしました、大師匠!」
五体投地で、堤防の上へ滑り込んだ。土下座である。いや、より正確には、スライディング土下座の如く、我は地面に額を擦り付けながら叫んでいた。
「どうかその『禁忌魔法』を、この無力な私にご教授ください! 最強の陛下よ、その慈悲を!」
男は、濡れた髪をかきあげながら困惑した表情を浮かべた。
「……魔法? いや、ただのバタフライだ。あと、無賃乗船が見つかったから逃げてきただけだ」
その言葉さえも、我には「深遠な比喩」に聞こえた。
『バタフライ』――水属性の古き名称か。『無賃乗船』――正体を隠すための暗号か。『逃げてきた』――試練者(弟子志願者)を見定めるための言葉か。
我は食い下がった。
「かような謙虚さ! 真なる大魔導師の風格です。どうか、この哀れな賢者めに――」
先生は、我の目を見た。
その瞳には、異常な解析欲求が宿っていた。ただの転生者ではなく、何か「ただならぬもの」を感じ取ったのであろう。
「……まあいい。とりあえずプロテイン飲むか?」
それが、奇妙な師弟関係の始まりであった。
物理(サイエンス)を信仰する師と、ファンタジー(マジック)に溺れる弟子。二つの思想が、永遠に平行線をたどるまま、この物語は幕を開けるのだ。
END OF CHAPTER 1-1
タコライス Web小説家
小説の普遍テーマは『プラスサム vs ゼロサム』 人類は「協力」で進化するか、「奪い合い」で選別されるか。 二つの極限を描くSF戦記である『逆鎖国、始まります。』を軸に、二元論を超えた知的探求を描く物語を執筆している。
【執筆作品】
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