知恵熱で死んだ最強賢者、物理(キンニク)で異世界を無双する~「魔法? いえ、これは伸張反射です」~
あらすじ
プロテインを「魂の契約」と誤解したジクマルは龍斗を師と仰ぐ。SSCによる膝蹴りを「雷神脚」、ドラゴンボートを「魔導船」と解釈。筋肉の掛け声に包まれ、知識偏重だった賢者は「肉体を変えたい」と願い始める。
第一章:知恵熱の残響
第二話:プロテインは魂の聖水なり
瓦礫の山が、薄暗い午後の光に浮かんでいた。
都市の一角。かつてビル群が立ち並んでいた場所には、今や砕け散ったコンクリートと腐敗した鉄骨のみが残されている。その絶望的な景色の中で、一人の男が仁王立ちしていた。
龍斗先生である。
彼は、瓦礫の上に座るジクマルへ、シェイカーを差し出していた。
「…まあいい。とりあえずプロテイン飲むか?」
その言葉は、極めて日常的であった。栄養補給。それだけのこと。だが、ジクマルの目には、この瞬間が「最も神聖な時」に映っていた。
翡翠色の聖水
シェイカーの中には、怪しく濁った緑色の液体が波打っていた。
抹茶味のプロテイン。
しかし、ジクマルの視点では、それは全く別の物質に見えた。かつての異世界で学んだ『魂の契約(ブラッド・パクト)』。その儀式で用いられる、翡翠色の聖水――『ジェイド・エリクサー』。魔力譲渡の儀式。師の血――いや、師の本質を弟子が受け入れる、最も神聖なセレモニー。
ジクマルは、恐る恐るシェイカーを受け取った。
手が、微かに震えている。
この液体を飲むということは。この男を、自分の唯一無二の師として認め、その全ての教えを受け入れ、そして自らの『私』を、この人物に捧げるという誓いを立てるということ。
ジクマルは、目を閉じた。
喉を鳴らす音。
「…」
液体が、食道を通じて胃へと落ちていく。
嘘のような苦味が、舌に残った。抹茶の苦さ。だが、ジクマルはそれを「師の魔力の痕跡」と解釈した。神代の魔法使いの血液に含まれる、超越的なエネルギー。それを、自分の身体に取り込んだのだ。
ジクマルは目を開いた。
涙が、こぼれていた。
「これは…『翡翠の聖水(ジェイド・エリクサー)』…! 師の魔力を分け与える儀式ですね…!」
ジクマルの声は、震えていた。
「苦い…だが、力が漲る…いや、これは錯覚ではない。確実に、師の力が我が体を駆け巡っている…!」
龍斗先生は、そんなジクマルを見て、首をかしげた。
「…いや、単にプロテインだ。タンパク質足りてなさそうだし」
だが、その理性的な言葉さえも、ジクマルには聞こえていなかった。
もう一度、シェイカーを見つめながら、ジクマルは成分分析に浸った。
(この香気は…ジャスミン? それとも、古代魔法の秘薬に使用されるマトゥラの花か…。この甘さは、師の慈悲の表れに違いない。そして、この粉末の質感は…完全に精製された魔力の結晶…)
ジクマルの脳内では、次々と仮説が立てられ、検証され、採用されていく。
一方、龍斗先生は、プロテインバーを齧りながら、淡々と歩き去り始めていた。
ザク、ザク、という足音。
「大師匠! 待ってください!!」
ジクマルが、慌てて立ち上がった。
「その『褐色の魔石(チョコバー)』についても、ぜひとも解説をお聞きしたく! あれはいかなる古代魔法の結晶なのですか!?」
龍斗先生は、振り返ることもなく答えた。
「…これは、単なる栄養補給だ。砂糖と脂質が大量に含まれている」
だが、ジクマルはそれを『深遠な比喩』と受け取った。
(砂糖と脂質…つまり、肉体のエネルギー源。師は、この言葉を通じて、我に肉体強化の重要性を説いているのか…真の賢者には、頭脳のみならず、肉体もまた重要な『魔法の媒介』となり得るということを…!)
ジクマルは、先生を追走した。
ビル風の交差点
ビル風が吹き抜ける交差点。
廃墟と化した都市の中でも、特に風の通りやすい場所。かつてのビルの風圧が、今も執拗にこの地を吹き抜けていく。
龍斗先生は、ジクマルの一歩先を、悠然と歩んでいた。
だが、その瞬間――
物陰から、それが現れた。
赤く光る眼。羽毛のような外皮。三本の爪。
ラプトル。小型の獣竜だ。
それが、一体、また一体、そしてもう一体――合計四体が、二人を包囲した。
ジクマルの脳は、瞬時に戦況分析を開始した。
(敵の筋肉量。配置。反応速度。それぞれの攻撃角度。右翼の敵は、他の三体より0.2秒反応が遅い。下顎の筋肉量は、やや劣化傾向。あそこが、唯一の突破口か…)
だが、ジクマルの脚は、動かなかった。
金縛り。恐怖による完全な身体麻痺。異世界での大賢者として、数々の危機を乗り越えてきた彼だが、この現世での弱肉強食の世界では、そうした知識は何の役にも立たない。
脳は完全に機能している。
だが、身体は、応じない。
儀式の舞
対照的に、龍斗先生は、ジクマルのすぐ前に立ち、その場で小刻みにピョンピョンと連続ジャンプを繰り返していた。
「タン、タン、タン」
リズミカルな音。そして、その音に合わせて、先生の下肢の筋肉が、微かに収縮と弛緩を繰り返していた。
ジクマルの脳が、瞬時にそれを解釈しようと試みた。
(恐怖で震えているのか? いや、あの動きは…あれは『儀式の舞(ウォー・ダンス)』!? 古代の勇者が、戦いの前に行う、精神統一の儀式か!? あの『タン、タン、タン』という音は、もしや『不可思議な口寄せの言葉』では…!?)
ジクマルは、先生を新たに認識した。
ただの魔法使いではない。
真なる古代の戦士。秘儀を操る、伝説の勇者なのではないか。
痺れを切らしたラプトル四体が、一斉に先生の喉元へ飛びかかった。
ジクマルが叫んだ。
「大師匠、危ない!!」
その言葉は、絶望の叫びであった。
だが。
雷神の一撃
ラプトルの牙が、先生の喉元に届く寸前。
龍斗先生の動きが、劇的に変化した。
跳躍のリズムが、一気に沈み込んだ。
先生の膝が、深く深く下がる。上半身も、わずかに前傾する。まるでバネが、最大限に圧縮されるように。
その瞬間――
反動。
爆発。
バネが、一気に弾ける。
ロケットが発射されたかのような速度で、先生の身体が上昇した。と同時に、先生の膝が、先頭のラプトルの下顎を正確に捉えた。
ドォォォン!!
重低音。
それは、物理的な衝撃というレベルを超えていた。空気そのものが、その打撃に反応し、周囲に衝撃波を放出していた。
先頭のラプトルは、その一撃で錐揉み回転した。
その体は、宙を舞い、地面に叩きつけられる。血が飛び散る。一撃失神KO。
残りの三体は、その異常な威力に本能的な恐怖を感じた。
脱兎のごとく、逃走する。
その姿は、もはや『捕食者』ではなく、『逃げ惑う獲物』そのものだった。
ジクマルは、開いた口が塞がらなかった。
「い、今のは…空間そのものを縮める『縮地』ですか? それとも、雷神の力を宿す『雷神脚』ですか!?」
龍斗先生は、涼しい顔で着地した。
呼吸一つ乱れていない。
「…魔法?」
先生が、首をかしげた。
「これはただのSSCだ。筋肉をゴムのように使っただけだ」
SSC。
ジクマルの脳で、最高峰の誤読が完成していた。
「SSC = 未来予知と空間操作を複合した自動防衛結界」
その誤解は、もはや訂正不可能な域に到達していた。
「大師匠…!」
ジクマルは、涙ぐんだ。
「あなたは本当に、伝説の魔導師のお姿そのものです…!」
龍斗先生は、気絶したラプトルの尻尾を掴んだ。
「…今日の夕食だ」
龍の船
龍斗先生は、気絶したラプトルをズルズルと引きずりながら、港の石畳を歩んでいた。その後ろから、ジクマルが必死についていく。
夕暮れ時の港には、それが停泊していた。
筋骨隆々な門下生――マッチョたち――が、合計十人待機していた。
彼らの身体は、龍斗先生と同じように、見たこともない規模の筋肉量を備えていた。肩幅の広さ。胸部の盛り上がり。腹筋の分割具合。全て、常人離れしていた。
そして、その門下生たちが守っているのは。
ジクマルの呼吸が、止まった。
船首に、巨大な木彫りの龍頭がついた、細長い船が、水に浮かんでいた。
龍の頭。
龍の目。
龍の爪。
その全てが、極めて精密に彫り込まれていた。
「おおお…!」
ジクマルが、戦慄した。
「あれは…伝説の海竜『リヴァイアサン』! 深海に棲む、太古の魔獣! まさか、あなたはその龍を使役しているのですか!?」
龍斗先生は、呆れた顔で答えた。
「何意味わからんことを言っている。あれは『龍舟(ドラゴンボート)』型のロウイングマシンだ」
ロウイングマシン。
ジクマルは、その言葉を聞いても、依然として理解できなかった。
(ロウイング…マシン…『魔導具』の別名か。…いや、その名称こそが、この魔導船の最大の奥義を示唆しているのではないか…!)
龍斗先生と十人の門下生たちが、その船に乗り込んだ。
そして、オールを握った。
その瞬間、先生の雄叫びが響き渡った。
「ロウ!!!」
その掛け声と共に、門下生たちが一斉にオールを漕ぎ出した。
「イング!!!」「ロウ!!!」「イング!!!」
筋肉が、波打つ。
すかさず先生の格言が飛び出す。
「バーンを超えないとパンプには至らないぞ!」
船が、海を切り裂く。
その速度は、並の船ではあり得ぬほどの加速度を示していた。
ジクマルは、その光景を見て、最終的な確信を得た。
(バーンとは……肉体の業火を耐え抜く試練……パンプとは魂の開花……!)
(これが…魔導船の動力源…『マッスルエンジン』…! 肉体そのものを、一種の永動機として機能させるという、最高峰の魔術…!)
ジクマルは、その船に乗せられた。
船上では、龍斗先生がジクマルに目配りをした。
その視線は、明確だった。
『ようこそ、極致島へ』
ジクマルは、その視線を受け取った。
その先に待つのは、地獄か、それとも天国か。
だが、もはや、ジクマルには選択肢が残されていなかった。
新たな決意
海を揺られながら、ジクマルは自分の身体を見つめていた。
まだ、シェイカーの味が口に残っていた。
翡翠色の聖水。
『ジェイド・エリクサー』。
あの液体を飲んだ瞬間から、自分の身体が、わずかに変わったような気がしていた。
気のせいなのか、それとも真実なのか。
だが、一つだけ確実なことがある。
ジクマルは、龍斗という男に、完全に心を奪われてしまったのだ。
その男が何者なのか。
どこから来たのか。
なぜ、この廃墟の世界にいるのか。
全て、謎のままだ。
だが、それでもいい。
なぜなら、ジクマルはもう、その男を信じることに決めたから。
『師弟契約』は、成立した。
プロテインという、極めて日常的な栄養補給の行為によって。
だが、ジクマルの脳が解釈した、その『契約』は、もはや日常的なものではない。
それは、『魂の絆』。
『使命の継承』。
『新たな人生の開始』。
ジクマルは、目を閉じた。
向かっている先は、地獄かもしれない。
だが。
前方から聞こえてくる掛け声『ソーレ! パンプ!』という、リズミカルで力強い音。
その音に包まれながら、ジクマルは思った。
(まずは、この肉体を、何とかしなければならんな)
その思考は、前話での彼の思考体系とは、全く異なるものだった。
知識。分析。理論。
それだけを信奉していた前の賢者は、もう、ここにはいない。
かわりに。
『変わりたい』という、純粋で、前のめりな欲望が、その少年の胸に宿っていた。
END OF CHAPTER 1-2
この作品を書いた人
タコライス Web小説家
小説の普遍テーマは『プラスサム vs ゼロサム』 人類は「協力」で進化するか、「奪い合い」で選別されるか。 二つの極限を描くSF戦記である『逆鎖国、始まります。』を軸に、二元論を超えた知的探求を描く物語を執筆している。
【執筆作品】
- 1作目: 『逆鎖国、始まります。』(カクヨム連載中)
- 2作目: 『アブダクション・リミット』(カクヨム連載中)
- 3作目: 『知恵熱賢者』 (HP先行独占配信)
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